大阪新四十八願所_第41番_西念寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第41番「西念寺」
寺院・諸堂来歴
- 文禄年間(1592~1596)称誉西念上人が創建した。開山当初は北船場の浄国寺町にあったと伝えられる。
- 元禄14年(1701)刊行の地誌『摂陽群談』は当寺について「開山称誉西念大徳、本尊弥陀立身、運慶仏工の所造也。定朝(じょうちょう)彫刻の弥陀、方丈に安置す」と述べる。
- 昭和20年(1945)大阪大空襲で本堂他すべての伽藍を焼失したが、昭和29年(1954)本堂を再建した。
本尊
- 本尊阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期の作と伝わる。運慶作の伝承もあるが、詳しい制作年代、作者などは不明である。
宝物・墓石・行事など
- 日本最後の文人画家として知られる田能村直入の建てた「青湾の碑」がある。
- かつては円光大師御光御字の名号、称念上人の筆蹟などの宝物を所蔵したが、いずれも大阪大空襲により焼失した。
- 年中行事として修正会(しゅしょうえ)・御忌会(ぎょきえ)・春秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会・地蔵盆・浄焚式(じょうぼんしき)などをいとなむ。
第41願 「諸根具足の願」(しょこんぐそくのがん)
もし我れ仏を得たらんに、他方国土の諸もろの菩薩衆、我が名字を聞きて、仏を得るに至るまで、諸根闕陋して具足せずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、たほうこくどのもろもろのぼさつしゅ、わがみょうじをききて、ほとけをうるにいたるまで、しょこんけつるしてぐそくせずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
他の浄土の菩薩達が、私の名前を聞いたならば、仏の境地に至るまでの間、五官(眼・耳・鼻・舌・身)や手足などが不自由になることがないようにしよう。
和歌
花とのみ おもふすがたも かのくにの ちかひのたねや かねてうへけん
【訳】
〔何ときれいな〕花かと思うが、その花の姿は、先に〔法蔵菩薩が〕誓願の種を植えていた(その結果なのであることよ)。