大阪新四十八願所_第34番_大寶寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第34番「大寶寺」
寺院・諸堂来歴
- 文禄2年(1593)3月15日、桓蓮社霊誉上人が島之内大宝寺町に創建。元和年間(1615~1623)、徳川幕府による大坂夏の陣後の戦災復興都市計画の一環として現在地に移転した。跡地には近年まで「大宝寺町」の地名が残っていた。
- 大阪大空襲の難を逃れた数少ない寺院のひとつでもある。享保年間(1716~1735)建築の地蔵堂・観音堂などとともに、類焼を防いだ円形の防火水槽が今日も姿をとどめている。
- 上宮学園の前身、浄土宗教校大阪支校発祥の地としても知られる。
本尊
- 本尊阿弥陀仏立像は安阿弥(あんなみ)〔快慶〕の作と伝えられる。
宝物・墓石・行事など
- 浄瑠璃「絵本太功記」作者近松やなぎ、画師玉手棠洲(とうしゅう)、御津(みつ)八幡宮歴代宮司の墓などがある。また石田心学の講舎である心学明誠舎(めいせいしゃ)建立の義童勘太郎顕彰碑も建つ。
- 年中行事として春秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会・十夜会などの他、声明(しょうみょう)の公演なども行っている。
第34願 「聞名得忍の願」(もんみょうとくにんのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍、諸もろの深総持を得ずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうむりょうふかしぎのしょぶつせかいのしゅじょうのるい、わがみょうじをききて、ぼさつのむしょうぼうにん、もろもろのじんそうじをえずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方無量の浄土の人々が、私の名前を聞いて、無生法忍(むしょうぼうにん:無生無滅の真理を悟った菩薩の境地)や優れた總持(記憶力)を得ることができますように。
和歌
南無阿みだとばかりきくも 身をかへぬ この世ながらの ほとけ成(なり)けり
【訳】
南無阿弥陀仏と聞いただけで、この身を変えることができることよ。この世にいながら、仏〔のような境地〕と成ることができる〔ので〕。