大阪新四十八願所_第36番_大安寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第36番「大安寺」
寺院・諸堂来歴
- 慶長元年(1596)徳蓮社大誉久巖上人が創建。享保3年(1718)6月、本堂・書院・弁天堂など伽藍を再建するが、明治32年(1899)6月、失火により焼失。明治41年(1908)に本堂・玄関を再建。大正12年(1923)書院・庫裏(くり)を再建した。
- 昭和20年(1945)大阪大空襲ですべての堂宇を焼失。昭和36年(1961)9月に本堂を、54年(1979)から61年(1986)にかけて庫裏(くり)・書院を再建した。
- 天文5年(1740)、当山寂誉上人が『大坂四十八箇寺阿弥陀巡礼記』を著し、旧「阿弥陀四十八願所巡礼」を発願した。
本尊
- 本尊阿弥陀仏像は再三の火災戦災をくぐり抜けた3尺の立像。元禄14年(1701)刊行の地誌『摂陽群談』に「本尊弥陀 安阿弥手造(あんあみてづくり)の尊像なり」の記述が残される。伝来の経緯は不詳だが、元禄当時から古仏と認識されていたようである。平成18年(2006)、大阪市有形文化財に指定。
宝物・墓石・行事など
- 境内地には由緒不明ながら、幕末期土佐藩士の墓がある。
- 年中行事として修正会(しゅしょうえ)・春秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会・仏名会(ぶつみょうえ)などをいとなむ。
第36願 「常修梵行の願」(じょうしゅぼんぎょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸もろの菩薩衆、我が名字を聞きて、寿終の後、常に梵行を修して、仏道を成ずるに至らん。もししからずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうむりょうふかしぎのしょぶつせかいのもろもろのぼさつしゅ、わがみょうじをききて、じゅじゅうののち、つねにぼんぎょうをしゅして、ぶつどうをじょうずるにいたらん。もししからずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方の無数の浄土の菩薩たちが、私の名前を聞いたならば、〔その浄土での〕命が終わって後、常に梵行(ぼんぎょう:清らかな行)を修して、仏道を成就しますように。
和歌
大宮に 立(たち)そふ雲は へだてても ひかりあまねき のりの月かげ
【訳】
皇居に寄り添うように立ち上る雲は〔月の光を〕隔てているが、月の光に譬(たと)えられる阿弥陀仏の光明はあまねくすべての衆生(しゅじょう)を照らすのである。