大阪新四十八願所_第39番_一心寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第39番「一心寺」
寺院・諸堂来歴
- 文治元年(1185)春、当時の四天王寺別当慈鎮和尚(じちんかしょう)の請によりこの地を訪れた宗祖法然上人が、四天王寺西門(さいもん)の坂のほとりに結んだ四間四面の草庵「荒陵(あらはか)の新別所」に止住された事に始まる。
- その後、徳川家康の庇護を受け、江戸末期には宗派を問わない納骨および施餓鬼法要の寺として有名になった。
- 明治20年(1887)、それまでに納骨されたお骨を以て第一期のお骨佛を造立して以来、十年を一期として一体のお骨佛を造立し、合計13体のお骨佛を造立して今日に至っている。現在は戦災で失われた6体を除く8体が納骨堂内に安置され、「お骨佛の寺」として知られている。
本尊
- 戦災により焼失した本堂を再建するに当たり、京都百萬遍知恩寺阿弥陀堂の本尊であった阿弥陀仏像をご遷座頂いたものである。
宝物・墓石・行事など
- 寄合書一行一筆阿弥陀経 (非公開)他多数。本多忠朝、八代目市川団十郎、小西来山他、多くの著名人の墓がある。
- 行事は、盂蘭盆施餓鬼会・地蔵盆・年次納骨供養法要の他、特別法要として十年に一度、 骨佛開眼(かいげん)供養大法要が行われる。
第39願 「受楽無染の願」(じゅらくむぜんのがん)
もし我れ仏を得たらんに、 国中の人天、 受くる所の快楽、 漏尽比丘のごとくならずんば、 正覚を取とらじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのにんでん、うくるところのけらく、ろじんびくのごとくならずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
私の浄土の人(にん)・天人の享受できる快楽が、 漏尽比丘(ろじん びく:煩悩の穢れを滅した比丘)と同等でありますように。
和歌
へだてなき ちかひの国に 生れ行(ゆき)て うくるみのりの 袖やたのしき
【訳】
いかなるものも分け隔てなく救うという誓願によって建立(こんりゅう)された極楽国、そこに往生すれば 〔誰でも〕教えの袖〔即ち出家者の着る法衣〕を授かることができるとは、何と素晴らしいことよ。