大阪新四十八願所_第8番_善導寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第8番「善導寺」
寺院・諸堂来歴
- 養和元年(1181)奈良東大寺の俊乗房重源(ちょうげん)上人開基の摂津渡辺道場を発端とする。文禄元年(1592)伝誉慶公上人が念仏道場として開山した。
- 安政2年(1855)6月に本堂・庫裏(くり)・三重塔・鐘楼堂・観音堂などの伽藍を整えるが、昭和20年(1945)大阪大空襲ですべての堂宇を焼失した。「大坂三十三ヵ所観音巡り」の札所(ふだしょ)であったが、このとき堂内の長谷観音立像も焼失した。
- 昭和30年(1955)に客殿、35年(1960)に庫裏、52年(1977)に本堂の復興を終えた。
本尊
- 本尊阿弥陀如来立像は木製の一光三尊仏で身の丈一尺九寸。文久元年(1861)12月、当時第17 世鏡譽圓霊和尚が夢告に因り、父母精霊菩提を願って本尊の前立として彫刻した。もとの本尊は空襲で焼失した。
宝物・墓石・行事など
- 江戸中期の町人学者山片蟠桃(やまがたばんとう)、三弦合奏創始者近藤宗悦、大阪画壇の西山芳園・完瑛父子の墓がある。
- 年中行事として春秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会・十夜会などをいとなむ。
- 寺塀に沿って樹齢50年のソメイヨシノが並び、満開期には道行く人々の目を和ませる。
第8願 「他心智通の願」(たしんちつうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、国中の人天、見他心智を得ず、下、百千億那由他諸仏国中の衆生の心念を知らざるに至らば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのにんでん、けんたしんちをえず、しも、ひゃくせんのくなゆたしょぶつこくちゅうのしゅじょうのしんねんをしらざるにいたらば、しょうがくをとらじ)
【大意】
私の浄土の人(にん)・天人は、宿命通(しゅくみょうつう:他人の心を知る能力)を有していて、すべての人々の思いを知ることができますように。
和歌
われのみか 人の心も もろともに うつすかがみや のりの月かげ
【訳】
私の心だけではなく、人の心ももろともに映し出す鏡となることよ、わけ隔てなく降り注ぐ月の光の如き、阿弥陀仏の光明によって。