大阪新四十八願所_第9番_運潮寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第9番「運潮寺」
寺院・諸堂来歴
- 文禄3年(1594)天満川崎村に一宇を建立したのが開創とされる。
- 昭和20年(1945)3月13日の空襲により、本堂及び本尊や庫裏(くり)を焼失したが、終戦後焼け残った観音堂の一隅から、従来の東寺町にて再興した。
- その後、昭和35年(1960)に大阪市の都市整備計画で、現在の柏原市玉手への移転が具体化し、昭和40年(1965)12月20日、すべての移転、修復工事が完了。玉手山の山頂に、白亜の新生運潮寺が誕生することとなる。
本尊
- 先述の通り、運慶作と伝わる先の本尊は戦災で焼失。昭和40年(1965)に現在の本尊が遷座される。浄土宗の像としては珍しい放射光状の光背に特徴がある。
宝物・墓石・行事など
年中行事として、春・秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会などを厳修する。
第9願 「神境智通の願」(じんきょうちつうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、国中の人天、神足を得ず、一念の頃において、下、百千億那由他の諸佛の国を超過すること能わざるに至らば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのにんでん、じんそくをえず、いちねんのあいだにおいて、しも、ひゃくせんのくなゆたのしょぶつのくにをちょうかすることあたわざるにいたらば、しょうがくをとらじ)
【大意】
私の浄土の人(にん)・天人は、神足通(じんそくつう:どこにでも瞬時に行ける能力)を有していて、いかなる仏の国にも容易に行くことができますように。
和歌
ここに見え かしこにたちて しら雲の みねもいくへに ゆきかえるらん
【訳】
ここにもかしこにもたち上る白雲は、幾重とも見える山の頂を、〔神通力(じんずうりき)をそなえた人がどこへでも行き来できるように〕行き来しているのであろう。