大阪新四十八願所_第12番_伝長寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第12番「伝長寺」
寺院・諸堂来歴
- 慶長11年(1606)鎮蓮社笈誉上人が創建した。
- 昭和20年(1945)の大阪大空襲ですべての堂宇を焼失。昭和58年(1983)に本堂を建立、平成7年(1995)庫裏(くり)を落慶した。
- 開山笈誉上人の夢想・発意により奉安された撫(な)で地蔵尊は空襲の被害を免れ、撫でたところの疾病に効験あらたかな地蔵として、創建から今日まで近隣の信仰を集めている。
本尊
- 本尊阿弥陀仏立像は鎌倉中期の作と伝えられるが、詳細な制作年、作者などは不明。空襲時、当時住職が地下壕に避難させて、焼失を免れたものである。
宝物・墓石・行事など
- 『絵本太閤記』を著した江戸後期の戯作者武内確齋、江戸後期の儒学者廣瀬築梁・渡辺長城らの墓がある。武内確齋の墓碑の題字は頼山陽の書による。
- 撫で地蔵尊の効験にあやかり例年5月8日、霜焼け足洗の法会をいとなむ。年中行事として、修正会(しゅしょうえ)・春彼岸会・御忌会(ぎょきえ)・盂蘭盆施餓鬼会・撫で地蔵盆・浄焚会(じょうぼんえ)などを修す。
第12願 「光明無量の願」(こうみょうむりょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、光明能く限量あって、下、百千億那由他諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こうみょうよくげんりょうあって、しも、ひゃくせんのくなゆたしょぶつのくにをてらさざるにいたらば、しょうがくをとらじ)
【大意】
私が仏となったとき、私の発する光明が無限であって、届かない所がありませんように。
和歌
いかならん やみも残らじ あさひこの やぶしわかずも てらすひかりに
【訳】
いかなる闇も残ることはないであろうよ、朝日という、藪であっても分け隔てなく照らす日の光に〔照らされたならば〕。