大阪新四十八願所_第37番_長圓寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第37番「長圓寺」
寺院・諸堂来歴
- 長圓寺は慶長11年(1606)、巌蓮社照誉上人により開山される。
- 昭和20年(1945)3月13日の大阪大空襲にて伽藍を焼失。当時の住職が庫裏(くり)を建て本堂建立に尽力するものの、思うように再建成らず、縁ある寺院に助力を依頼したところ、生玉組大宝寺住職の紹介により千日前法善寺と縁を結ぶこととなった。昭和30年(1955)頃のこととされる。
- 千日前法善寺も空襲により伽藍を焼失しており、金毘羅堂・庫裡等は再建できていたが、本堂は未着手であったため、長圓寺境内を法善寺の飛び地境内と位置づけ、昭和35年(1960)頃、そこに本堂を建立。
- 以上のような経緯を経て、長圓寺は法善寺別院としてその法灯をつぐこととなった。
本尊
- 本尊は阿弥陀仏立像。三河岡崎の大樹寺より請来(しょうらい)したものと伝わる。制作年代や作者は不明。
宝物・墓石・行事など
- とくになし
第37願 「人天致敬の願」(にんでんちきょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸天人民、我が名字を聞きて、五体投地し、稽首作礼し、歓喜信楽して、菩薩の行を修せんに、諸天世人、敬いを致さずということなからん。もししからずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうむりょうふかしぎのしょぶつせかいのしょてんにんみん、わがみょうじをききて、ごたいとうちし、けいしゅさらいし、かんぎしんぎょうして、ぼさつのぎょうをしゅせんに、しょてんせにん、うやまいをいたさずということなからん。もししからずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方無量の浄土の人(にん)・天人が、私の名前を聞いて、私に礼(らい)をなして菩薩の行を修したところ、それに対してすべての人が敬いをなしますように。
和歌
雲のうへ 天津(あまつ)乙女も 後の世を あふぐたもとや 露けかるらん
【訳】
雲の上で、天女も後世(ごせ)〔の極楽往生〕を願って阿弥陀仏を仰いでいる、その袂(たもと)が露で濡れた〔ように、うれし涙で湿っぽい〕ことよ。