大阪新四十八願所_第20番_長安寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第20番「長安寺」
寺院・諸堂来歴
- 天正年間(1573~1592)法誉上人が創建した。
- 昭和20年(1945)3月の大阪大空襲で観音堂他一棟を焼失。ついで6月の大空襲で、山門以外のすべての堂宇を焼失した。昭和47年11月に本堂を再建。
- 曽根崎心中で有名な大坂観音三十三カ所霊場第十四番札所(ふだしょ)にも数えられている。
本尊
- 本尊阿弥陀仏像は身の丈約2メートルの大きな立像で、来迎の印を結ぶ。戦災の火難は免れたが、その後ジェーン台風で損傷。修復の過程で胎内から寛文3年(1663)の奉加帳が発見される。加古川市鶴林寺から招来されたと見られ、聖徳太子御作と伝えられる。
宝物・墓石・行事など
- 修正会(しゅしょうえ)・春秋彼岸会・花まつり・盂蘭盆施餓鬼会・十夜会・成道会(じょうどうえ)・仏名会(ぶつみょうえ)などをいとなむ。
- 毎月詠唱講を催し、詠歌をまじえた法事法要を積極的に行っている。
第20願 「係念定生の願」(けねんじょうしょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、諸もろの徳本を植え、至心に廻向して、我が国に生ぜんと欲せんに、果遂せずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうのしゅじょう、わがみょうごうをききて、ねんをわがくににかけて、もろもろのとくほんをうえ、ししんにえこうして、わがくににしょうぜんとほっせんに、かすいせずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方世界の人々が私の名前を聞いて私の浄土に思いを掛け、諸々の功徳を修(しゅ)して往生したいと念じたならば、いつか必ずその思いが実現しますように。
和歌
生れ行(ゆく) くにとおもへば こころにぞ かけてとなふる みのりなりける
【訳】
往生していく極楽浄土と思うならばこそ、心に掛けて念仏を称えるのであると説き示されることよ。