大阪新四十八願所_第2番_源光寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第2番「源光寺」
寺院・諸堂来歴
- 天平19年(747)聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建。もと平生寺と号した。
- 後年良忍上人が中興して融通念仏の本山となったが、やがて衰退。承元3年(1209)行基・良忍の旧蹟が荒廃するのを嘆いた法然上人が寺号を源光寺と改め、浄土大念仏本山として復興したという。
- 文政3年(1830)火災により一切の堂宇、勅額・綸旨・縁起などを焼失したが、本尊は火難を免れた。現在の堂宇は文久元年(1861)の再建によるものである。他に西国三十三カ所観音堂・鐘楼などが遺(のこ)る。
- 円光大師旧蹟のひとつである。
本尊
- 本尊阿弥陀仏像は鎌倉後期の作と推測される立像。加古の沙弥(しゃみ)教信が吉野の勝手明神より感得した霊像と伝わり天筆如来と号される。海上の竜神をおさめたという伝承もある。秘仏で両彼岸の中日のみ開帳される。大阪府有形文化財に指定されている。
宝物・墓石・行事など
- 法然上人旅姿像・弥陀三尊軸・両界曼荼羅など多数収蔵する。
- 年中行事として修正会(しゅしょうえ)・春秋彼岸会・花まつり・御忌会(ぎょきえ)・盂蘭盆施餓鬼会・地蔵盆・十夜会・仏名会(ぶつみょうえ)・成道会(じょうどうえ)・浄焚会(じょうぼんえ)などをいとなむ。
第2願 「不更悪趣の願」(ふきょうあくしゅのがん)
もし我れ仏を得たらんに、国中の人天、寿終の後、また三悪道に更らば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのにんでん、じゅじゅうののち、またさんなくどうにかえらば、しょうがくをとらじ)
【大意】
私の浄土では命終えた後、再び三悪道の世界に還(かえ)るなどということがありませんように。
和歌
むかし見し 花のみやこに いたる身は なにかまよひの 道にかへらん
【訳】
昔〔夢に〕見た極楽浄土たる花の都に往生するこの身、どうして迷いの道に帰るであろう。