大阪新四十八願所_第22番_大福寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第22番「大福寺」
寺院・諸堂来歴
- 慶長年間(1596~1615)の創建と推測されるが、開山、開創時期などの詳細は不明。現在の銀山寺がかつて大福寺を称したが、太閤秀吉の命により改称・移転したあと、現在地にあった寺院を大福寺と称するようになったと伝える。
- 大阪大空襲で山門を除く堂宇を焼失。本堂は現在、再建の過程にある。
- 明治2年(1869)、境内地に大阪大学医学部の前身、大阪浪華仮病院が創建された縁により、薬事関係の檀家が多く、「医薬の寺」の歴史を持つ。
本尊
本尊阿弥陀仏像は恵心僧都(えしんそうず)の作と伝わる。
宝物・墓石・行事など
- 王一清筆「枯木雙鷹図」・周信筆「諸葛孔明左右雉子図」・冷泉為恭筆「天の香具山図」等を大阪市立美術館に寄託する。
- 境内地に発祥した大阪浪華仮病院と適塾の関わりを示すモニュメントが山門の傍(かたわら)に建立されている。
- 年中行事としては、春秋の彼岸会・花まつり・盂蘭盆施餓鬼会・十夜会などをいとなむ。
第22願 「必至補処の願」(ひっしふしょのがん)
もし我れ仏を得たらんに、他方仏土の諸もろの菩薩衆、我が国に来生せば、究竟して必ず一生補処に至らん。その本願あって、自在の化する所、衆生の為の故に、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立てしめんをば除く。常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。もししからずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、たほうぶつどのもろもろのぼさつしゅ、わがくににらいしょうせば、くきょうしてかならずいっしょうふしょにいたらん。そのほんがんあって、じざいにけするところ、しゅじょうのためのゆえに、ぐぜいのよろいをきて、とくほんをしゃくるいし、いっさいをどだつし、しょぶつのくににあそんで、ぼさつのぎょうをしゅし、じっぽうのしょぶつにょらいをくようし、ごうじゃむりょうのしゅじょうをかいけして、むじょうしょうしんのどうをたてしめんをばのぞく。じょうりんしょじのぎょうをちょうしゅつし、げんぜんにふげんのとくをしゅじゅうせん。もししからずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
他の浄土の菩薩たちが私の浄土に生まれたならば、必ず一生補処(いっしょうふしょ:この一生を終えたら仏になれることが確実な位)の菩薩になれますように。ただし、人々を導くためにあえて迷いの世に生まれる場合を除いて。
和歌
親と子の 中をおもへば へだてなき をしへやのりの こころなるらん
【訳】
親子の仲というものは隔て無いものであるが、〔阿弥陀仏の〕教えも隔てないものである。〔その隔てないというのが〕阿弥陀仏の御心なのである。